住環境の調和

そもそもは人間の都合で飼われ、捨てられ、増えた命。

 

それをまた人間の都合で殺して許される訳がありません。

 

嫌いだから処分してほしい、目障りだから処分してほしい…そのような自分本位の考えが戦争や凶悪犯罪につながるのです。

 

現在の地球を支配しているのは人類かも知れません。

 

確かに、最も強くて優秀な万物の霊長です。

 

しかしだからこそ「自分達よりも弱い存在」を守るべきなのではないでしょうか。

 

思いやりの心を育てて行く必要があるのではないでしょうか。

 

そんな心の教育などどうでもいい、と心から主張できる人はあまりいないと思います。

 

人間は暴君で良い、と言っているのと同じことです。

 

 

動植物に生かされている立場の人間が彼らを邪険に扱い続ければ、そのうち人類全体が追い詰められてしまうでしょう。

 

強い者が支配し搾取する…そんな世界で本当に満足でしょうか?

 

その恩恵を受けるのはごく一部の人間だけではないでしょうか?

 

国のトップが国民を奴隷や道具のように扱えばどういうことになるか、歴史を振り返れば分かると思います。

 

動物を、地球の国民と考えてみて下さい。

 

彼らは見返りのない税金(命)を人間に提供し続けているのです。

 

それでも、動物だけならば力で管理できるかも知れません。

 

しかし、世界にはその動物に対し慈悲の心を持つ人間が数多く存在します。

 

あるいは積極的な活動はしなくとも、純粋に可愛い、可哀想、助けたい…と思う人ならば大多数がそうでしょう。

 

その人たちを敵に回すようなことを今後も続ければ、当然その人たちからの支援はいずれ得られなくなるということです。

 

人間優先の考え方が時代遅れなのは、実際にそういった考えを持つ人が増えてきているからです。

 

一応人間は平等ということになっていますから、動物愛護の心を持つ人にも当然人権はあり投票権もある訳です。

 

投票とは力の行使です、つまりそれだけの力を持つ大集団がいるということになります。

 

時代遅れということは、そういった動物の命を軽視する政策は不可能になって行くということなのです。

 

もちろん、我々の意見を全員に押し付ける気はありません。

 

動物が嫌いな人にも、もちろん人権はあります。

 

だからこそ私たちは動物たちを保護し、人と動物お互いの住環境調和を図ろうとしているのです。

 

 

猫が嫌いでもいい、動物が苦手でもいい、それはそれぞれの性質・体質なのだから仕方のないことです。

 

ただ、動物に生かされているという感謝の心と、失われてゆく命に対する憐れみの心だけはぜひ持っていただきたいのです。

 

そうすれば動物も、動物を愛する人も、動物が苦手な人も、全てがいずれ幸せに生きてゆける社会が作られると思うのです。